幻燈

書きたいときに書きます。

落ちていた雑記帳の一片に

落ちていた雑記帳の一片に


どうしても自分の思いを思いのままに綴るのは恥ずかしくて書けないでいた。

中学生の頃から毎日毎日飽きもせずに140字以内に収まるくらいの断片的な思いは吐き出しているけど、改めて文章に纏めるというのはやっぱり恥ずかしくて、躊躇われしまう。


それに、本当はもっと柔らかくてキャッチーな文章を書くべきなのだと思う。でも、どうしてもそれが出来ない。どうしてもそういう文章が苦手だ。


大学生の頃、インターン先で求人募集の記事のライティングをしたことがある。文章を書くのは得意な方だったから、割と自信満々に立ち向かってはみたのだけれど、そこで求められた文章はもっと「やわらかい」文章だった。


「人が好き!建築が好き!そんなアナタ、ぴったりです!」


確かこんなような文章を嫌々書いた気がする。書けなくはない………のかもしれない。でも人並みかそれ以下ではあると思った。そのとき、文章にも種類があることを知った。私は文章を書くのが得意なのではなく、「こういう」文章を書くのが少し得意なだけなのだと。


そもそも私には、他人に美しいと思ってもらえる文章とか、他人の心をつかむ文章が書きたいなんて欲はない。ただ自分が美しいと思える文章を思いのままに書き連ねて、暇があればそれをああでもないこうでもないと推敲する。それが楽しくて仕方がない。文章作成は私にとってはデザインみたいなものなのだと思う。


もちろん、自分にとっての最高の文章が他人にとっての最高でもあれば良いなとは思う。自分が思うままにに書き連ねた言葉が誰かの心を動かせたらなとは思う。でも、そのために自分の文章を歪めたくはない。


そんな私に「御社」の言う人の心に刺さる文章が書けるわけないし、そもそも書きたくもなかった。「人が好き!建築が好き!」なんてダサいし、情報伝達能力もない文章の価値が私には分からなかった。このとき、コピーライターになるのは有り得ないなと思ったりした。


まあ、多くの人の心を揺さぶってしまうような天才的なキャッチコピーより、「真夜中の疾走に聡明と音楽」みたいな厨二病全開の文章でアドレナリンを垂れ流す私の書く文章が大衆に刺さるわけもない。そんな求人見たくないし。


自己中な自慰的文章しか書けないから、読みやすさで言ったら星1を付けられてもおかしくないレベル。でも、書きたい。人に読まれる想定してないくせに、人に読まれたい。我儘。


そんな欲を満たすためだけに筆を取った25時半。猫も微睡む25時半。筆と言いつつとったのはペン………でもなく、スマホだったりする。深夜のワンルームマンションの一室と言い変えようとしたところで、自分の住んでいる部屋は中途半端な1Kであることに気づく。くやしい。


初めて思うままに書いてみて気づいたのだけれど、書いてみてしまえば自分の想いを直接綴ることは意外に恥ずかしくない。まあ、恥ずかしくないなと思ってしまうこと自体が本当は恥ずかしいことなのかもしれないけれど。


気づいたら140字の毎日日記をただくっつけただけみたいな文章が出来上がっている。不思議。当たり前だけど首尾貫徹とはほど遠い文章。
でも、この方が備忘録感あっていいんじゃないと言いきかせて。



夏の終わりに。



成人済みの更級の少女から。